愛とは何か?愛の形とは?

彫省ブログへようこそ。

今回は
「愛の形」
について
皆さんと考えて見たいと思います。

10数年前、
私の知る暴力団事務所では
「愛」と言うなの体罰があり
組織の中に
親子、兄弟、家族愛が
少なからず存在していました。

組織と言うのは
血のつながった家族よりも
深い家族愛で繋がっています。

その理由の1つが
秘密を守らなくてはならない様な
手を汚す仕事がメインだからと言う訳です

それは
ここ日本だけではなく
世界各国の裏組織も同じ事です。

日本のエンコ詰め(指先切断儀式)は
世界でも有名な話しですし

当時
組員は「愛」を感じていたからこそ
辛い場面でも耐えて来れたのだと
私は見ていて思いました。

それと
実際私の通った長野県の中学校では
当時
先生が生徒を殴りつけて
蹴り回すのが当たり前でした。

長野県だけの話しでは無く
時代がそのような流れだったと思います。

その
暴力が当たり前だと感じていた人の中で
のちにヤクザになった人達は
「愛」の形を体罰として表す事が
ごく自然だと思っていたのでしょう。

しかし
時代や流行など
目に見える全ての物は
どんどん移り変わって行きます。

過去に生きている人など誰1人と存在せず
この地球で暮らす
74億人全員が
「今」を生きています。

したがって
ヤクザの世界も
カタギの世界も
今までと同じやり方では
上手く行かなくなるのも
自然な事なのでしょう。

「今」のやり方とは何でしょう?

バツとマル

形にハメようとすると
当然ハマらない物も出て来ます。
そして
ハマらない物はバツで
ハマる物はマルとなります。

言う事を聞かないとバツで
したがえばマルとなった少し前の日本
これが過去の「愛」ではないでしょうか。

この価値感で生きている企業や団体は
自然と衰退して行くという事になります。

その理由は
今は流れがそうではないからです。

バツもマル

形にハメようとするも
色々な形があると受け止めて
バツもまたマルだと
とらえられるか?

相手を攻めたり
自分を責めたりしないで受け入れる事が
今の時代の「愛」ではないでしょうか。


私はそう理解しています

10数年前
お世話になった組長が言った言葉

「こいつは喧嘩は出来ねえが
お茶くみをさせたら右に出る者は居ない。」

この言葉が
私の頭から離れないのは
「愛」を感じたからではないでしょうか?

愛の形すらも時代と共に変わり
愛の感じ方も、
74億通りある。

としたら

愛では無いモノなど

本当は
存在しないのではないでしょうか。


カリカリ、イライラするのは
自分の思う形と
違うからだと思います。

本当は
自分の思う形と同じモノなど
1つも存在しません。

私は、
日本で治安が悪い場所で有名な
東京都足立区で
様々な人達と関わらせて頂いています。

なぜこの土地は治安が悪いのか。
どうしてDQNと呼ばれる人が多いのか。

そして
何と言っても
なぜ人は彫り物をするのか?
について
観察をするのに充分すぎる場所でもあり
「愛」についても
深く勉強をさせてもらっています。

全てのはみ出し者達に
愛を感じずに居られません

感謝です。

最後まで読んで頂き
ありがとうございました。

失礼します

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